高校生の政治活動が緩和の動き。教員の中立性は可能なのか?

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hinomaru

選挙権18歳以上が2016年の参院選にて初めて適用される。

1969年の文部省(現:文部科学省)の通達では、高校生の政治活動を禁止していたが、今回の選挙権18歳に引き下げに伴って高校生の政治活動を緩和する動きに転換した。

2015年10月5日現在の文部科学省の発表によると、校外では一定の条件を満たせば政治活動を許すとのことだが、教員の教育において中立性が守られるのかどうか?が保護者としては一番心配な点かもしれない。

今回は、この点について考えてみよう。

 

 

高校生の政治活動が緩和

今回の文部科学省の発表については、教育新聞の10月8日の記事を見てみよう。

 

高校生の政治活動を禁止する昭和44年の通知を見直す新たな通知案「高等学校における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」はまず、学校教育における政治的教養教育の重要性と政治的中立性を押さえた。

政治的教養教育については、校長を中心に学校として指導のねらいを明確にし、系統的で計画的な指導計画を立てて実施する。教科は公民科が中心になるが、総合的な学習や特活、ホームルーム、生徒会活動、学校行事なども活用。一定の結論を出すよりも、それに至る過程での、冷静で理性的な議論が重要であることを理解させる。

学校の構外で放課後や休日に行う、有権者としての18歳高校生の選挙活動については、「家庭の理解の下、生徒が判断し、行うものである」として容認した。政策論争を交わすような集会にも参加できるようになった。さらに政治的教養が育まれるよう「学校や家庭、地域が十分連携することが望ましい」と表現。

ただ、学業に支障があるほか、生徒間で政治的な対立から学校教育の妨げとなる場合は、「禁止することを含め、適切に指導することが求められる」として、過度な政治活動の抑制を求めた。
放課後や休日でも、学校を封鎖するなどの暴力的な政治活動を実施したときも「制限又は禁止する必要がある」と記述。

引用:教育新聞

 

つまり、こういったこと。


・学校の教師は中立性が求められる。

・公民の授業だけでなく、HR、総合学習、生徒会活動でも政治の教育を行う
・校外では基本的に、政治活動はOK
・生徒間でもめ事が起こる場合は、禁止することもある
・学業に支障が出るほど、のめり込んではダメ。
・暴力的な行動もダメ。

 

と、いうことだ。

1969年の通達では、高校生の政治的活動を全面的に禁止するものであった。

今年の夏に、多くの高校生が国会前にで「安保法案」に対するデモを行ったが、以前の通達ではこれもダメということだ。

もちろん今後も、校内での政治活動は禁止されている。授業中や部活動、放課後に校内で政治活動を行うことはできない。

 

1969年の通達ができた理由としては、当時安保闘争が大学で激化し、その影響が高校にまで及んでいたからだ。そして高校の授業ができなくなる事態にまで発展したため、高校生の政治活動を全面的に禁止した。

しかし、皮肉にも今年の「安保法案」に関して、高校生がデモを実際に行うなど実態に合わなくなっていたのだ。そもそも、教師事態も1969年の通達を知らない場合が多い。

 

教員に関しては、公職選挙法にて教員の地位を利用した選挙活動が禁止されている。

授業では、ある政治的事象に関して結論を出すのではなく、それに至るまでの過程や様々な視点を冷静に議論することが求められる。つまり教員は、特定の政治的立場に立つことを禁止されているのだ。

教員に関しての、具体的な通達案は10月中旬になるそうだ。

 

教員の中立性は果たせるのか?

ここで気になるポイントとしては、教員の中立性が守られるかどうかが気になるところだ。

私は個人的に、教師による中立性を維持するのは難しいと考えている。その理由は以下の2つある。

 

ポイント1:日教組の問題

近年、日教組の加入率は低下の一途を辿り、現在は25%にまで下がっている。

日教組とは、太平洋戦争時に多くの学生を戦争に送り出した反省から、平和活動を行い、教員が組織した団体である。平和活動に従事しているので、憲法9条を強く支持したり、君が代を歌うことに反発していた。

公務員の政治活動が禁止されていることから、政府とよく対立をしている。

日教組は民主党の支持母体となっている。

第一次、安倍政権時に教育基本法が成立され「教育的に偏っている」教員をターゲットにしたことから、日教組は民主党に寄り添っていったのは有名な話だ。
日教組は、「全国学力テスト」等も廃止した悪しき過去があるのだが・・・これは別の機会にしよう。

少なくなっているとは言え、一部の教員は日教組の影響を受けている。

 

私自身のエピソードも1つ。

私自身、教育に携わる身として「公民」の授業にて憲法9条の経緯について話したこともある。民間企業のため、一個人の意見を生徒に述べたこともあった。

その生徒が学校で私の意見を話したところ、アレルギー反応を起こすかのごとく、「憲法9条という人類史上最高の憲法を支持しないなんてありえない」となかなか偏った意見を生徒伝いに頂いた。

 

あくまでエピソードなので、全体の総意ではないが、

25%の教員が日教組であることは無視できない数字であろう。

 

 

ポイント2:監視制度が無い問題

基本的に学校の授業では教員による授業が上司や第三者に監視されることはない。

狭い教室の中で、教える人間が1人、教わる人間が数十人という構図になる。

 

仕事をしている人間には、当然理解しやすい考えではあるが、「監視下に無い状況では、良心の質が求められる」ということだ。

人間は、誰かに監視されていることによって倫理観や道徳心を保つことができる面がある。

 

誤解を恐れずに言うが、公務員である教員は100点満点の最高の授業を行っても、手を抜いた授業を行ってもインセンティブが変わることはない。

しかも誰に見張られるわけでもない。

よほどの崇高な精神の持ち主か、聖人君子でなければ、勤められない職業であろう。

仮に、ある教員が熱烈な左翼思想でもって、

「戦争は絶対に反対」
「憲法9条はノーベル賞級」
「自民党の政策は野蛮で日本をダメにしている」

といった考えをもっているとしよう。

政治的中立を求められている立場であったとしても、自分の考えをかみ殺して指導の現場に臨める教師は一体どれほどいるだろうか。(監視されない状況において)

もちろん、すべての教員が強い政治思想を持っているわけではないだろうし、大人な対応をできる教員もたくさんいるだろう。

 

しかし、宗教をはじめ、往々にして強い思想を持っている人間は他人にも自分の思想を押し付けるように感じるので心配しているのだ。

 

 

 

教員の中立性を可能にする方法が必要

 

ということで、私は個人的に現状では教員の中立性は可能ではないと判断している。

性善説で話をしたいところだが、誰にも監視されていない状態で自分の思想を抑えることができる人間は少ないように思う。

「俺はこう思う」「私はこう思っている」

という考えを、権威のある人間は教わる立場の人間に示してしまうのは当然であろう。上司や部下だって当たり前に起こりうる光景だ。

 

生徒達から匿名で、教員以外の第三者へ授業の感想を吸い上げる
偏った思想を指導する教師にはペナルティを与える
授業の様子を動画で撮影する

 

などの、解決策を政府が提示してくれることを祈るばかりだ。

といっても、日教組が激しく反対しそうだが。

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