英語は多読が効果的なのでしょうか。
お薦めのテキストはあるでしょうか。
英語学習には、基本があります。
そしてその基本をマスターしたら、あとは、応用です。
応用を効かすには、フレーズ学習よりも、応用フレーズ学習に最適な多読が良いのです。
英語力習得に多読は必須?
英語力習得に多読は必須です。
英語のカンバセーション・会話の学習は当初は難解なものとなります。
なぜなら、耳が慣れていないせいで、単語の分別を聞き取れないのです。
そして、英語の発生音声にも、滞りがある場合では、聞き取りにくいという状況が発生します。
そのため多読に切り替えると、単語のひとつひとつの切り分けが目視でも頭脳でもできるわけになります。
多読をすれば、英単語の復習になるのです。
また、フレーズ学習においても、フレーズの文脈でのつながりなど、納得するフレーズの使い方・用法を学習することが出来ます。
多読の中に学習したフレーズを見つけた時には、しっかりとそのあり方をマスターすることが出来るのです。
多読する前に単語力が必要?
多読する前に単語力は必要です。
ただし、多読の際でも英単語を全網羅しているわけではないので、少し英単語の力量が低いぐらいでも構いません。
たとえば、子供用の英語新聞における練習では、雑とした記事の内容ですが、子供の英語学習のなかの知っている単語を見つければ、その用法も見つけたことになります。
ちょっと背伸びしなければならない程度が丁度良いのです。
その時に、その学生が自ら辞書を引くくらいに努力心に満ちていると、さらにその学生は伸びます。
つまり、背伸びしなくては読めない多読教材プラスの自分で辞書を引く行為が有効なのです。
それは、多読教材の英語の単語訳があれば、足りるというものではありません。
英単語の中には詞の違うものもたくさんあり、用法は、単語の訳だけでは、網羅しきれません。
なので、単語の基礎をそのステージに従ってマスターし、分からない単語を何度も引くうちに脳がマスターする単語力があります。
努力して、何度も同じ辞書の項目を引いていれば、脳は完全マスターとなります。
英文多読におすすめのテキストは?
画像出典:http://media.studytown.jp/learning-of-leading-by-english-language-newspaper/
英文多読におすすめのテキストは、やはり英字新聞です。
昨今では、インターネットでも、英語の文面を、見ることが出来るので、ちょっとした時事でも英語で検索・閲覧するとよいでしょう。
時事というのは、今をテーマにしていますので、今を生きている学習家にとっては大いに役立つのです。
単語や、フレーズが出てくる場合、それが復習効果となり、脳が記憶できます。
また、現地での英語の使用法をマスターすることが出来、海外の文化を知ることが出来るようになります。
あえて、追筆しますと、そのフレーズや、英単語を多読教材の内に見た場合は、それを、日本語に脳の中で変換しない事です。
そのフレーズ・単語の雰囲気は現地のものであるので、それがカルチャーランゲージです。
つまり、学習しているのは、実際に役に立つ、あちら側の用法であって、厳密に言って日本語での用法を転換してつかったとしても、外国人には通じないのです。
使える英語をマスターするには、論理的な文法力をマスターしていることは基本ですが、多読の中に海外の文化の中における英語の用法をマスターしなければなりません。
たとえば、それが、多読教材の時事版であったとしても、その論旨を飲み込める日本の文化人であるなら、その言わんとしていることが、つかみやすく、単語とフレーズの学習にちょうど良いのです。
そして、重要単語を記憶するようになります。
まとめ
多読を、実際、海外の言語でやってしまうと、頭がパニックになる人もいるでしょう。
それに打ち勝つには、まず単語の記憶から始めましょう。
そして、単語をカタカナにでもして、意味をイメージを脳に叩き込むのです。
そうすることにより、すらすらと、英字新聞でも読めるようになります。
分からない単語は飛ばしてもいいですが、何回も出てくる英単語は気になって、辞書を引きます。
そのうち、その単語の意味する、世界が見えてくるのです。
例えば、時事の英語の雑誌で、スキャンダルという言葉が出てくるとしてます。
それは日本でも同じですが、カルチュアショックという英単語でしたら、日本人の海外経験ではなく、海外の人の外国における、文化的なショックと言う意味です。
なので、外国語を習得していくことは、自国の文化だけの、井の中の蛙ではなく、相対的に見た、海外の人の暮らし方であり、言語の使用法、文化を学ぶことになります。
そういったときに、多読の多い方が、世界の文化・時事に精通したという事で、国際人と称されるわけです。
その結果、自国内にいても、自分の国にこだわることなく、自分たちの民族や国家を客観的に判断できるという、秀逸な人材が育つのです。